「咄嗟の瞬間に、生きざまが現れる」
そんな言葉を聞くと「確かに」と思う。同時に、ピシャリと背中を叩かれたような緊張感が走る。
7歳の長男を思い出したから。
私は彼を、一人前の大人に育てあげられるのだろうか。
自信の有無なんぞ、関係ない。
親になったあの瞬間から、棄権が許されないレースを走り続ける。
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先々週の水曜日、「さぁ、夕飯を作るかな」とパソコンの電源を切ろうとしたタイミングで、LINEの通知が鳴った。
相手は、息子が一番仲のいい友達(Aくん)のママ。1年生の保護者会で「LINE交換してください!」と言われ、たまーにやり取りしている貴重なお方だ。
「〇〇くん(長男の名前)からお話、聞いてますか?」から始まるメッセージには、息子がAくんのおなかを思いっきり蹴飛ばしたことが書かれていた。
え、なんのこと?全く聞いてない。
リビングからは、弟と遊ぶ長男の笑い声が聞こえてくる。整理がつかないまま、Aくんのママに電話をかける。
「先ほどのメッセージで知りました。本当に申し訳ございません」
事情を知らなかったとはいえ、まずは謝罪する。
Aくんのママは電話に出てくれたけれど、明らかに声が怒っている。そりゃそうだ。大切な子どもを傷つけられたのだから。私が反対の立場でも、そうなってしまうだろう。
「息子に話を聞いてから、謝りに伺ってもよろしいでしょうか?」
そう尋ねる私に、「そこまでしてもらう必要はありません」と答えるAくんのママ。
やんわりとした表現の奥に、はっきりと「拒絶」を感じた。
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私は冗談抜きで、「友達は一生の宝」だと思っている。息子にも折りに触れて、「友達は大切にするように」と伝えてきたつもりだ。
頭をガツンと殴られたようなショックを受けながら、「ひとまず落ち着いて、彼の話を聞こう」と息子を呼ぶ。
息子によると、
おにごっこをしていて、追いかけられる番になった。でもタッチされるのが嫌で。Aくんがタッチしようとしてきたから、蹴っちゃった・・・と。
蹴っちゃったって、なんやねん。
それも大切な友達を。
というか、人を蹴るなんて、どこで覚えるの?
私も夫も、蹴ったことなんて一度もないよ?
さまざまな思いが頭をかけめぐる。
何よりも、毎日登下校し、帰宅後は一緒に遊ぶような友達を一方的に傷つけた息子。コレが本当にショックだった。
「ごめんなさい」と謝る息子に、
「謝る相手はママじゃないよね。
それに、謝っても許してもらえないかもしれない。
もう、遊べないかもしれない」
厳しいかな?と思ったけれど、ありのままの現実を伝える。
ようやく事態の大きさに気付き、「そんなのやだ!」と声を荒らげ、ポロポロと涙を流す息子。
この子は、「考える」より先に体が「動く」んよなぁ。心のなかで、ゆっくりとためいきをつく。
「どうする?一緒に、謝りに行く?」
黙ってうなずく長男と、雰囲気を感じて泣き叫ぶ次男を連れ、Aくんの家に向かった。
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子育てって、もうひとつの人生を歩むことかもしれない。
親の立場で、自分が経験しなかった道をたどる。反対に、同じような経験したなぁ、わかるわかるってことも多々。
最近直面した「7歳の咄嗟」は、母である私にとって、あまりにもつらい現実だった。
でも。
翌日からも変わらず遊ぶAくんと長男を見て、「まだまだ途中。嘆くのは早いよね」と思い直す。
私だって、親友のBちゃんと何度もぶつかって、泣いて、仲直りして今がある。
悪ノリして傷つけたくせに素直になれず、ひと言も口をきかなかった3日間。
苦しくて、苦しくて。Bちゃんを失うのが怖くて。長男のように、泣きながら「ごめんね」って謝りに行ったじゃないか。
いいところも、悪いところもさらけ出す。ぶつかって、悩んでこそ成長がある。
まだまだ7歳。
たくさん楽しい・うれしい・苦しい・悔しい経験をして、グチャグチャにもまれてほしい。
そして「咄嗟」のとき、大切な友達を支えられる人になってほしいな。
※この記事は2024年にnoteで公開したエッセイを加筆・再編集したものです
